人は罪を犯すべからざるものにして、罪を犯すものなり。
内村鑑三 (求安録 岩波書店) 生得的に、また人に教えられて、決してやってはならないことを私たちは知っている。でも人は、他人に激しい苦痛を与えても自己中心に振る舞ってしまうことがある。それはいけない、と深く気づいた時、罪と、利己心のはざ間に落ちて苦しむ。さらに、そうした自分という者の存在を悲しみ嘆く。そこに偽りのない人間の姿がある。 #
by obi_keinosuke
| 2009-03-27 10:24
先入の語をもって主と為(な)す無かれ。
漢書 (漢書 筑摩書房) 今日では、身体を動かさずにすむ機器がたくさんあるので、それに頼っていれば楽でいい。何かの説明や理由を聞くにしても、最初のものだけで十分だ。後からの違った説明や意見に耳を貸すのはやっかいである。このように何事でも、新たに出てくる考えに消極的であるなられば、この変化の激しい世の中の動きについてはいけない。 #
by obi_keinosuke
| 2008-08-23 09:17
この世界でもっとも霊妙な存在は、人間こそその第一である。
空海 (三教指帰 中央公論新社) いったん大変な事が起こると、人は苦しんだり、悩んだりするが、やがて落ち着くと自分を冷静に見ようとするようになる。そして、別人のように様々な本を読んだり、人の教えを聞いたりして、人間の不思議さを知る。そこからは、いろいろな疑問が湧き、それをどこまでも考えていくと、今まで思いもしなかった境地に居る自分に気づいて驚く。 #
by obi_keinosuke
| 2008-08-23 07:52
まだ真実の道理を照らす心を得ないうちは、種々の才芸を習得することはすまい。
最澄 (日本の名著・3 願文 中央公論新社) 最澄は、山に入って修行をする前に誓いを立てた。五つのうちの二つ目がこれである。その前に、自分のことをこう言っている。「愚の中の極愚であり、狂っている中の極狂であり、心の荒れたつまらない最低の人間であり、・・・・」。人と生まれて、何事かを成すための前提がここにある。自己反省と誓願である。そのうえでの不屈の実行だ。 #
by obi_keinosuke
| 2008-08-22 07:37
長年の習慣は一挙に改まるものではない。
魯迅 (魯迅文集・6 評論 筑摩書房) 人は、生まれた所の言葉、また、ものの考え方や生活のあり方を身につけて、生きることの基盤(習慣)とする。それは、無意識であったために深く心身に根づく。一方、社会生活では理性的であることが求められるので、生きる基盤にも理性を持ち込むことが少なくない。無意識で身につけた習慣を理性で変えるには弊害がともなう。 #
by obi_keinosuke
| 2008-08-21 07:34
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